諺にみる、キリスト教の世界
このブログにアクセスしてくださったお一人お一人に感謝申し上げます。
今回は諺と聖書の繋がりを書いていこうと思います。
このブログは超真面目にふざけています。お許しを、、、
聖書って難しいイメージがあるかもしれませんが、なるべく面白く分かり易く伝えていければと思っています。
今日は以下の二つの諺を取り上げていくっ
・目から鱗
・豚に真珠
恐らく日本人なら聞いたことのある諺だと思われます、、、
結構有名な話なので「聞いたことあるわ~!!」となるかもしれません。
ご了承ください(笑)
まず、目から鱗、、、
広辞苑大先生によると、、、
あることをきっかけとして、急にものごとの真相や本質が分かるようになる
と、あります。
ちなみにこの諺の基になった聖書箇所がこちら。
するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。使徒行伝9章18節
ざっくりいうとサウロ(パウロ)っていうおじさんが「キリスト教徒なんか、むかつくなぁ」って理由で迫害してたんよ。でもある日、天から神々しい光が降ってきて「目が見えねぇ」ってなった次第。でもイエス・キリストのおかげで目が見えるようになってっていうお話。そしてサウロはキリストの福音を伝える者になったとさ。
だいぶふざけて書きました。ごめんなさい<(_ _)>
大事なのは、キリストを通してサウロの生き方や考え方が180度変わったということです。
サウロはキリストによってキリスト教の本質が理解できるようになったわけです。
では、次っっ
豚に真珠、、、
広辞苑大先生によると、、、
高い価値あるものでもそれの分からない者には無価値に等しいことのたとえ。「猫に小判」と同趣意。
聖書の個所がこちら、、、
聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。マタイによる福音書7章6節
これは山上の垂訓からの御言葉になります。山上の説教ともいわれている箇所です。
山上の垂訓(説教)とはキリストが弟子たちに向けた言葉です。
例えば、敵を愛する、自分を低くする等々、、、
価値の分からない者に高価なものを与えても意味をなさないという、イエス様にしては結構厳しいことを言われました。
ここの個所はまだまだ、私も十分に理解をしておりません(汗)
解らないことだらけです(泣)
まだまだ、勉強せねば、、、
意外にも聖書に基づいた日本のことわざってあるんですよ。
ちょっとは聖書について親近感が湧いたでしょうか?
難しいイメージの聖書ですが、私たちの身の回りにも聖書やキリスト教世界があふれています。
そのあたりの話はまた次回したいと思います。
今日はこの辺で、、、
今日の御言葉
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。マタイによる福音書7章7節