何度も聞いている話ですが、、、

このブログにアクセスしてくださったお一人お一人に感謝を申し上げます。

もうすぐイースターということで、最近はイースター関連の話題を中心にお送りしております(笑)

今回はイエスキリストの十字架(受難)についての話を書いていきます。

少し、生々しい表現があるため、お気をつけください。

そういうの苦手ーーーっていう方はここでブラウザバックをお願いします。

では行くっ

まず、十字架てなんぞや?というところからいきます。

十字架とは古代地中海世界で使われていた処刑道具です。

死刑の為の道具ですね。

しかしこの十字架刑はよほどの凶悪犯でない限りは使われませんでした。

なぜか、、、

死ぬまでの過程が非人道的だからです。

めちゃくちゃ残酷な死刑方法だったわけです。

十字架かけられる過程がこちらです↓

ところどころ省略しています。

じゃないと中の人のメンタルがやられます。

と言うか自然に涙が出てきます。

すみません。

 

刑場に連れてこられるとまず、服をはぎ取られます。

そして十字に組まれた木に手足を釘で固定されます。

もちろん麻酔なんてありません。生きたまま釘で打たれます。

釘を打つ場所も重要でした。

骨に上手く刺さらないと、自身の体重で手のひらの肉が裂けてしまうからです。

ここですっと絶命すればまだマシだと感じるかもしれませんが、十字架の死因は窒息死です。

そのため、絶命するには数時間から長ければ数日かかったと言います。

亡くなるまでの間は食事や飲み物などは基本的に与えられませんので空腹状態になります。

もちろんトイレになんて行かせてもらえません。

その場で垂れ流しです、、、

十字架は屋外で、公開処刑みたいなモンなので、民衆から罵声を浴びせられメンタルをえぐってきます。

肉体的苦痛と精神的苦痛が同時に伴うのが十字架刑です。

なんと惨い、、、

これが人間のすることなのか、、、

鬼畜の所業です。

エスキリストはこれに加えて、むち打ち刑で瀕死状態になり、茨の冠りをかぶらされ、何十キロもある十字架を抱えて自らの足で刑場まで歩いて行かれました。

もう、ボロボロなんてレベルじゃないです。

うう、、、

中の人もだいぶメンタルやられてます、、、

この話は何度も聞いているのですが、やはり苦しいです、、、

これ以上はメンタルが持たないので今回はこの辺で、続きはまた次回にします。

すみません。ご了承ください。

エス様、私に力をお与えください、、、

 

今日の御言葉

わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。ヨハネによる福音書10章11節