クリスチャンとして生きること

このブログにアクセスしてくださったお一人お一人に感謝を申し上げます。

今日で2019年度が終わりますね。

はやいもんです。

今回は、昨日に続いて本の紹介をしたいと思います。

外出の自粛が叫ばれている中、本というのは家で暇をつぶす良いアイテムになるのでは?と思います。

今はキンドルなどを使って、わざわざ本屋さんに行かなくても本が読める時代になりましたね。

本を読むとなんだか、偏差値が3くらい上がったように感じます。

まー、感じるだけなんですけどね(笑)

では行くっ

今回紹介するのは小説です。

読書苦手ーって方にも読みやすいと思う一冊を紹介します。

中の人の独断と偏見なんですけどね(笑)

ハイ、、こちらです↓

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51yxpI2H8xL._SX349_BO1,204,203,200_.jpg

三浦綾子著『塩狩峠』です。

この本は私がクリスチャンになる前に読んだ作品です。

初めて読んだのは中学2年生くらいですかね。

中学2年生だと少し内容が難しかったように思います。

大学生になってからもう一度読みましたが、中2の時、わからなかったことが少しわかったように思います。

それはクリスチャンとしての知識も少しはついたからかなーなんて思っています。

この作品は知っている人も多いかと思います。

とくに有名なのは、物語の最後の方だと思いますが、最後だけ知ってるという方はぜひ最初から読んで欲しいです。

塩狩峠』自体はフィクションですが、モデルになった話は実際に日本で起こった鉄道事故です。

物語の舞台は明治時代末期で、主人公は永野信夫です。彼はクリスチャンです。

彼の事故当時の職業は鉄道員です。

結構作中ではいろいろな職に就いたり、つかなかったり、、?

あらすじと言うか、私が思う一番の見どころはやはり有名な物語の終盤ですね。

以下、その場面のあらすじ

当時非番だった、永野信夫は自身の結納の為に北海道の札幌に向かう列車に乗っていた。

現在のJR北海道宗谷本線である。

列車はもう少しで、塩狩峠の頂上に差し掛かろうとしていた。

事件はそこで起こる。

列車の整備不良か、神様からの試練なのか、列車同士をつなぐ連結器が外れてしまう。

外れたのは最後尾の客車でその客車に永野信夫は乗っていた。

完全に動力を失った客車は、重力とレールに沿ってでしか動くことは出来ない。

それが意味することは、今、上ってきた塩狩峠を再び上ることはなく、逆走することである。

永野信夫は客車についている手動ブレーキを思い切り回した。

しかし、ここでも神様の試練なのか、、、

当時、客車はほぼ満員状態であった。

そのため、加速スピードがかなり速かった。

手動ブレーキではどうにもならなかったのである。

このまま客車の暴走を許してしまえば、乗客の命が危ない。

しかし、唯一のブレーキも効かない。

客車は恐らくカーブで横転し、大事故になってしまう、、、

そこで、永野信夫は考える。

この客車を止める手段、、、

それは、永野自身をもって客車を止めることだった。

そう、自らの命を引き換えにして、乗客を救う、、

 

って感じです。

 

一人の青年の生涯を通して、人を愛するとは一体何なのか、偏見と向き合うこと、友情、、、

現代にも通じることがあると思います。

彼の人生とは愛に満ち溢れたものなんだなーって読んでて思いました。

同じクリスチャンとして、彼の様な生き方が出来たら、、、なんて、、、

今日の御言葉

よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。

ヨハネによる福音書12章24節

(今日の御言葉は、塩狩峠でも引用されている箇所です。)